米大卒ママの出遅れ英語育児と4人の子どもたち。

10、6、3、0歳の母。米大卒の癖に2017年3月から英語育児を開始。子持ちで看護学校卒業後准看護師兼時々英語の先生。夫は2011年から単身赴任でワンオペ育児。2017年10月からDWE正規会員に。

なぜ公文式に抵抗感があるのか。教育について考えてみた。

(こちらの記事は超長文になっております。^^;)

 

先日、義母さんから勧めていただいた公文式に、少なからず抵抗を感じてしまった私です。

 

それはなぜか考えていると、育ててくれた父の影響が強いのだと思います。

 

父はどんな人かというと、京大在学中に各学部の優秀な者が行けるらしいドイツまで研究の為に国費で行かせてもらい、その後もっといたくてしばらくの間修道士になり、そこで出会った人とヒッチハイクにて国境を越えあうというなかなかぶっ飛んだ人物です。その後京都のある大学の教授を長年務め、ある日突然田舎に家を買い、途中退職。そこから父はど田舎で私たちを育て上げ、自分はほぼ半農半研究者という生活を送りました。トトロに出てくるお父さんみたいな感じを思い浮かべていただいたらいいかと思います。

 

そんな父の子育ては一風変わっていました。

頭が良い分類に入るであろう父は、自分の子供に「勉強しなさい」とは一言も言いませんでした。父は基本的に子供たちに何かをさせる、ということはしませんでした。むしろ子供が手を差し伸べるまでは何も働きかけず、何かを言って来たら全力で応援する、そんな人でした。私は子育てをする時に、その父のような育て方をしたいと思っているんだと思います。日々父の底なしの愛の深さや堪忍袋の緒の長さを思い知り、自分の器の小ささを感じています。父はもう7年前に他界しています。

 

ただ、常識人とはあまり言えない父とは反対で超常識人であり、人格者であり、彼女のことを悪く言う人など存在しないであろうと思われる義母さんのこともまた尊敬しています。

 

小学校の元先生である義母さんは、自分の子どもたちにも公文式を習わせた経緯があり、次女のことをよく知った上で公文を勧めてくれており、きっと次女の為にはとっても良いのだろうとは思うのです。

ただ、公文式という組織が私には怖く感じてしまったのです。

 

それが何なのか、口で言うのは苦手なので、文章にしてまとめてみようと思います。その中で色々な本を見た中で私が衝撃を受けたり、なるほどと腑に落ちたり、そうだったのかと勉強になった点も含めてご紹介したいと思います。

 

公文式とは

公文式の創設者であり元高校の数学教師だった公文公氏の息子(当時小学2年生)の数学のテストが悪いことから始まり、公文公氏が自身の息子が高校に入った時に困らないような学力をつけてやりたい。そのために家庭で小学校の算数の教科書に合わせて勉強させるより、高校数学に必要な内容にしぼったほうが結果として効率よく数学力を高めることになるだろうと考え、小学校の算数から高校数学までを一直線につなぐ教材を作り始めたのがきっかけとなっています。彼の作ったものは計算力を養成することに内容をしぼった自習教材で、初歩から段階を追って計算に習熟できるように問題を配列し、目標であるのは微分.積分になっています。図形や文章問題はあまり出てきません。毎日30分が勉強時間となっていました。そのあとは本を読んだり、音楽に親しんだりする穏やかな時間を大切にされていました。そして小学6年生に微分・積分を終了したそうです。

(ー公文式がわかる 公文公教育研究所 参照)

 

そして、公文式をすることによって学力だけでなく、次の能力も高まると言っています。

次にあげるような、学力が向上するのに伴って伸びていく「目に見えない力」も高まっていきます。

  • むりなく毎日続けることで身につく学習習慣
  • 一定時間学習することによって培われる集中力や処理力
  • 自分の力で「できた」「わかった」という経験によって育つ自信や自己肯定感
  • まちがいを自分で訂正することを通して高まる注意力やねばり強さ
  • 自分から「やってみよう」と取り組むことで育つ意欲
  • ときにはやりたくない気持ちとたたかうことで磨かれる自律心
  • 学校ではまだ習っていない内容を、自力で理解しようとするこで深まる考える力
  • 未知の領域に自分から取り組む経験が育む挑戦心や向上心
ー公文式がわかる 公文公教育研究所

 

公文式の学習システムは、学力診断があり自身の能力よりも少し低いところからスタートする特徴があります。子供は一人ひとりちがい「ちょうど」のプリント教材を自分で解いていくようになっています。ある課題をマスターするのに、10回練習しなければいけない子もいれば、5回でできるようになる子もいて、100点でも反復練習をさせることが大切、として同じプリント教材を2回以上繰り返して学習するそうです。そして反復練習が必要かどうかは「時間」によって判断されます。時間内で100点が取れていれば次へいけるという仕組みの為、とにかく「深く考えない」「時間ばかり気にする」「字の美しさは問題ではない」という思考能力が育成される心配がある、という反対意見も多くみられます。

 

また、この反復学習やスピードを求める学習をしてもいい「時期」というのがあり、12歳まではこの教育は危険であると警鐘を鳴らしている方が居られます。

 

年長から中三まで、自力で考えることができない子どもたちは、少なく見ても八割以上におよびます。その全員が「考えることはどういうことか」を知らずに、その方法を教わってもいませんでした。

-12歳までに「絶対学力」を育てる学習 糸山泰造氏

そう語る糸井氏によると〇〇式についていくつかの記述があります。〇〇式とは恐らく公文式のことであるかと思いますが、もしそうでなかったとしても公文式に似た学習方法だと思います。この公文式は学校で求められている人物像の育成方法とも似ている為、学校に普通に育って来た子も多かれ少なかれやはり考えることはどういうことかを教えられずに考えない教育がされてきたと思います。

  • 「考えなくても解ける問題」には目を輝かせるのに、文章問題はお手上げ。→頭を使って勉強していると思っていた時間はすべて、考えない頭を強化している時間
  • 外見は「計算が速く正確」で「漢字もたくさん知っていて書ける」し「音読もスラスラ」できる。文章を書かせても上手。→それは高度なサルまね。本当は考えない集中力であり、考えないで黙々と作業を続けられるという幼児・児童期にはつけてはいけない集中力。
  • 考えられない症状を示している子どもたちのなかでも、高速計算を鍛えていればいるだけ、プリントをたくさんこなしていればいるだけ、回復させるのに時間がかかるし、高速計算をはじめた時期が早ければ早いほど、回復が困難。(小3なら大丈夫、小4なら度合いによる、小6なら完全な回復は見込めない、中学以上は回復できないそう。)
  • 反復徹底、高速単純計算、大量暗記ではどんなに能力のある子でも、思考力の養成が難しくなるのは当然。繊細で敏感な成長途中の脳は、複雑な思考回路より単純な思考回路をより簡単に強化し、同時に複雑な思考回路が使われる頻度を減少させ、簡単に消してしまう。
  • 徹底的に計算練習をしていると、あるときを境に急激に計算が早くなる→これは、脳が判断を加えないで機械的処理を実行してしまう回路を作ったときに起こる現象 「考えなくてもできる」→「考えないでいい」→「考えるな」→「考えられない」となる
  • 〇〇式でなくても、学校の授業と宿題も、95パーセントが危険な計算問題で、5パーセントが計算をすれば答えができる文章題で、がんばる子ほど才能はつぶされてしまう。
  • 低学年での徹底反復は、「やらせなくてもいい」ではなく、「やらせてはいけない」のです。
  • あらゆる学習において大事で効果的なこととは、「表層に記憶しつづけること」ではなく、「(自然に簡単に)深層に記憶したものを、いかにして思い出すか」なのです。「思い出す練習ができるように、忘れてしまう」ことが大事。

-12歳までに「絶対学力」を育てる学習 糸山泰造氏 参照

 

また、彼はこのように言っています。

「塾通いは遅い方が伸びる」というのは塾の先生のあいだでは公然の秘密

中学受験用パターン学習は、できるだけ高学年まで待って、短期間ですませるほうが効果的なのです。

-12歳までに「絶対学力」を育てる学習 糸山泰造氏

と高学年になるまではパターン学習は絶対反対で、以前は著者本人が徹底反復、暗記、高速反射、パターン分析、検定試験勉強の奨励などをしており、その結果その方法が有害であったと振り返っておられます。

 

近年ではこの公文式を幼児から、さらには胎児のうちからしている家庭もあるようですが、そうして学んで来た子どもたちが将来どうなったのか、気になりませんか?

 

「危ない 公文式早期教育」という本から悲痛な叫びが聞こえてきました。

 

我が家が公文をしたからといってこんなことにはまずならないと思いますが、小さいうちから自由を奪われ、遊びを奪われ、友達を奪われ、時間を奪われ、狂母と化した母親たちからの叱咤激励を浴びながら、毎日20〜40ページのプリントをやり続ける子どもたち。もう「むりなく」でもなく、終わるまでという「一定時間の学習」でもなく、次々にさせられており、やってみようと取り組む子どもの「意欲」「挑戦」は見られず。

 

本の中には、こんな一コマが書いてありました。NHKスペシャルで4歳の子が作文を読むシーンがあったそうで、その内容が、こちら。

〈私の頭はコンピューター〉

私の頭の中には、コンピューターが入っています。毎日、毎日、動いています。でも、時々こわれます。

私のコンピューターは忙しいんです。毎日ピアノをしなくちゃいけません。スイミングもしなくちゃいけません。金曜日は英会話……。

ママがすごーく怒った時、電池が走らず動かなくなります。でも、ごはんを食べると電池が新しくなりパワーアップします。今日もコンピューターはよく働きました。朝から、国語、英語と算数のプリント、ピアノの練習、最後に日記を書きました。コンピューターはとても疲れて眠くなりました。

お休みなさい。また、明日。

-「危ない公文式早期教育」保坂展人氏より

こちらは4歳が書いたものらしいのですが、これを書いた4歳児の国語能力は確かにすごいと思います。しかし内容を見ただけで苦しい現実を苦しいと思わないように全ての意思を捨てコンピューターになる見立て遊びをすることで母に言われたことをこなす女の子の悲痛な叫びが聞こえてくるようです。

 

またこちらも6歳児の作文の紹介がしてありました。

 ぼくは六歳の、年長です。朝七時に、お兄ちゃんと、起きます。まず、ぼくとお兄ちゃんは、本を読みます。お父さんは、新聞を読みます。お兄ちゃんは、学校に行く前に、二十五分、朝のプリントをして行きます。

 つぎは、ぼくの朝のプリントのスタートです。一分でも、一秒でも早く幼稚園に行きたいので、がんばります。でも、お母さんは次から、次へとプリントをだします。

 ぼくと、お母さんのたたかいが、始まります。ぼくは、悲しくて、悲しくて、涙が、出てきます。ても、ぼくは、がんばります。

 十時に幼稚園に、行きます。幼稚園で、おあそびをして、三時に、おむかえが来る、お母さんと、家に帰ります。公文、幼稚園、スイミングとで、毎日、大変です。

 一日二十四時間では、たりません。もし、一日が、二十八時間あれば、お兄ちゃんと、遊んだり、お父さんと、キャッチボールをしたり、ブロックでロボを作ったり、テントウ虫のさなぎを、つかまえてきて、虫になるのを、観察したり、いっぱい、いっぱいいろんなことが、できるのにと思います。

 でも、ぼくは、大きくなったら、大金持ちになって、アメリカや、フランス、それに、宇宙旅行へも、行きたいと思っています。

 お母さんは、「だから、英語も、勉強しなくては」と言います。お父さんは、「だから、算数の計算が、できなくては、お金の計算も、できなくて、おかいものも困るよ」と、言います。

 だから、ぼくは、勉強しなくては、と、思います。毎日、がんばって、公文の、勉強をして、上位者懇談会にえらばれたので、お母さんとの約束の、東京ディズニーランドへ、また、行けます。

 お兄ちゃんも、いっしょに表彰されるので、上野動物園で、パンダを見ることもできます。

 これからも、公文を通して、切磋琢磨します。

-「危ない公文式早期教育」保坂展人氏より

頭を使ってプリントという可視化が出来れば頭が良い子が育つと親が信じ切っている感じが分かります。でも、これで将来自分の思ってもみない結果になったら……その時の子どもの恨みは相当なものだと思います。

 

こんな感じで子どもたちが書いた作文がいくつか載っているのですが、どれも子どもたちが疲れ切っている様子が伺えます。

 

優秀児とよばれる子達のその後についても書いてあります。すごい本ですよね。もちろん有名私立中学、高校、大学に入れた方もおられるようですが、そうでない子も相当量おられるようです。

 

ある年の幼稚園の部、全国2位の男の子の話。「優秀児はこう育った」という雑誌にも登場するほどの華々しい幼少期。小学2年生で、大学生の年齢に達していると言われ、小学5年で最終教材までいった子の将来、気になりますよね。

電話取材で本人の父親が出て開口一番言った言葉がこれ。

「大きくなればタダの人ですわ」

(中略)

「小さいころは天才じゃないかと騒がれたし、誇張して本などにも書かれて親もその気になりましたが、やっぱり押しつけられたものはダメですね。結局はプログラムを押しつけたということになるんでしょうね。自分から意欲的にやった人のほうが伸びるんでしょう」

-「危ない公文式早期教育」保坂展人氏より

という振り返りをされています。

その子は取材当時大学生で、高校時代も数学の成績はトップで東大も狙えないこともなかったそうなのに父親のハギレがなんとも悪い。

 

世を揺るがす天才はまだあらわれてないらしく、筆者は

「自分が自分であって自分でないような」不確かさのなかで、バランスを失っていく早期教育の犠牲者たちの姿が見えてきた。

-「危ない公文式早期教育」保坂展人氏より

という。

 

この本には母親の目線からの取材もされています。

母親たちはこのプログラムにそっていけば人生バラ色のように洗脳され熱を込める。

子どもがなかなかやらないので怒ったり叩いたりしている家庭もあり、中には警察に通報されるケースもあるらしい。

また先生と子どもの相性が合わず、「これ以上やらせていくと、我が子がおかしくなる」と辞めさせる方もおられるようで、その後親子共々先生というものに恐怖感を覚えるようになった方の話も載っていました。しかし、この本はそれだけでは終わらず、その母親の子育てについて多方面の取材をして分析している点など興味深かったです。

 

ある優秀児は、1日40枚をこなし、休みはもちろんないので盆も正月もないし、風邪をひいてもおかまいなし。長い日は6時間でも机のまえに座ることも。そしてそのことを誇らしげに語る母親。また、小学校は私立を選び、これがたいへん良かったともいっている。何が良かったかというと、近くに友だちがいなかったのはほんとうに良かった、と。友だちと遊ぶのは月に一度程度で、その際は親がついていくらしい。公文自体は6歳でやめているが、3カ月たつと方程式までいった子が掛け算・割り算を忘れてしまったらしい。

 

結局高度なサルまねを強要され続け、何もかも失ってやった結果、結局必要がなくなれば忘れてしまう。その後に残るものって果たしてなんなんだろう。

 

またこんな話も書かれていました。

最終教材を小学校で終えた子の母親の言葉です。

「残念なことに、勉強がチャランポランになりました。優秀児と言われることで、息子は『自分はできるんだ』と思いこみ、深く考えないうわっつらだけの勉強になってしまったんです。さすがに数学の勉強には苦労していないようでしたが、やはり年齢にあった勉強が大切でした」

-「危ない公文式早期教育」保坂展人氏より

 

子どもの為に……と思って良かれと思ってやったことが裏目に出ることもあります。

このような記述もありました。

「早期教育を受けていた子どもは、小学校三〜四年生ぐらいまでは、確かに成績はよいようですが、このころから、少し様子が変わってきます。それまで早期教育などは受けずに、子どもの発達に応じた育てられ方をし、たっぷりと遊んでいた子どもがグングン伸び始めます。一方、早期教育を受けていた子どもたちは、かなり無理をしていることもあって、伸び悩んだり、息切れする子がぼつぼつ出てきます。」

-「危ない公文式早期教育」保坂展人氏より

 

一卵性双生児によるアメリカでの研究も載っていました。

「二組の双子のそれぞれ一方に、階段を昇る、積み木を積むなどの運動機能の訓練を行い、もう一方には行わなかったところ、どちらの組も、訓練を受けなかった子どもの方が、大きくなってからその技能を簡単に習得した。(中略)

早期教育を受けた子どもは、大人の指示や指導に頼ろうとする傾向がきわめて強かったのに対し、訓練を受けなかった子どもの方はかなりの自律性を示していた」

-「危ない公文式早期教育」保坂展人氏より

このように知的早期教育だけでなく、運動的早期教育の面でもリスクを示しておられます。

 

「したい」と思ってやることと、「させられて」やっていることは全然違います。

こういうのを読むと、公文を習うことで逆に受動的な子供になってしまうのではと危機感を感じます。

 

 

こちらの本には、指導者からの視点もありました。

ある指導者からの手紙に、

「私も教室の仕事を続けている上で、一番危惧するのは幼児や低学年の子どもたちの『後遺症』です。」

-「危ない公文式早期教育」保坂展人氏より

そこでその先生はほどほどにを心がけているのだけど、その精神は見捨てられているんだそう。

 

また事務局に持っていかれるパーセンテージが大きく、長年指導者をしていても変わらないらしい。チラシや看板、会場費、助手への人件費は指導者持ち。すっかりボランティアだという方もおられるみたいです。

それでも辞めないのは、なぜか。

いまでも私が公文をやめずにいるのは、生徒にいい思いをさせてもらったからです。小学校高学年ぐらいから公文で計算力をつけ、中・高生でグングンのびて花開く生徒をたくさん見てきました。ひとつ自信をつけることで、ほかの分野にもめきめきと自信をひろげた生徒が大勢いたんです。だから、自己流で個人指導をしていたときより、公文を取り入れてからのほうが成果は大きかったですね。

 ただ、最近は「公文は幼児のするもの」というイメージがあって、私がやりたい中・高生はこなくなりました。

-「危ない公文式早期教育」保坂展人氏より

そしてそんな中・高生大歓迎と言われています。

この方も早すぎるインプットには賛成できないそうだ。

 

また違う先生も早期の公文は真っ向否定されていました。子どもの意思を尊重するべきと語っておられます。そんな彼女の所にはほかの教室で傷ついた子どもたちがやってくるそうで、悲惨な状況らしい。こちらの方は母親の焦りや一生懸命さが逆に子どもを潰す場合もあると説得したり、プリント教材や教具だけでは限界があり、子どもの発達を損なう危険性があると何度も話し合っておられ、先生のほうが早期教育をセーブする役割を負っているそう。しかしその方は組織の中にいながらにしてアンチを貫くのは限界でこれ以上続けると内面世界かわ分裂してしまいかねないと言っておられます。

 

1日30分というのが前提であった公文の教育は母親が朝から晩までやらすケースも少なくないみたいです。

 

しかし、乳幼児に手を出したのは、子どもの数が減ったから数を確保する目的なのでは、と語る人も本の中にいました。当時は会長も乗り気ではなく、きちんとしたノウハウも指導理念もないなかで始まったそうで、それまでは幼児教材といえば線引きしかなかったらしい。執筆当時は各教室から事例を出してもらう時期、と公文式と呼ばれている幼児指導が公文式ではなくA指導者式、B指導者式、各教室独自方式だそうだ。そんな試行錯誤の状態で世界一を言うのはおかしいと筆者は語っておられます。

 

これらを読んで(他にも色々読んだのですが、すでにもう長すぎるので割愛。)、私は父の育て方は間違っていなかったと改めて思っています。

父が何故私に何も働きかけて「させよう」としなかったかと言うと、父は子どもの中には自分が学ぶべきものを知っているから、だそうです。お陰で私の学習にはいつも私が「したい」という気持ちがありました。「知りたい」という好奇心も旺盛のまま今までくることが出来ました。どこにも行かずとも頭の回転の早い人間になったと思います。と言っても、小学生、中学生の時に勉強した記憶はなく、山で遊びまくり、本を読みまくりました。本が家にありすぎて「そうだ!これでベッドを作ろう!」と高いベッドにしたことがあります。そして背中が痛くてやめた記憶があります。決定権は全て自分にあった為、自分の中の心の声を聞く習慣や、自分は自然の中のほんの一部であるという感覚、身体のバランスなど自分が自分であることに心地よく感じながら生活することが出来ています。

 

「子どものために」と思う母親の「心配」や「不安」を煽り、「これをしていれば絶対」というものを打ち出して進めていく教育のビジネス。本当に「正しい」ことは私にも分からないけれど、私が子供に「なって欲しい姿」を照らし合わせた時、幼児・小学生の間は寧ろ「馬鹿であるべき」ぐらいにも思ってしまいます。野山で遊びまくり「自分の心」と向き合う時間や、「自分の身体」を操る能力、「人との距離の取り方」や、「やりたいをとことんやり抜く力」などそれこそ「一人ひとりちがう」自分だけの教育を自分自身でしていってくれたらいいのではないかと思うのでした。

 

で、めちゃくちゃ書いたのですが公文に習うか問題。

自分だけの問題であれば「検討したけどやっぱり辞めました~」っていう記事を書くだろうと思うのだけど、義母さんが「孫の為」と思ってくださっている状況の中で、公文式ではなく学研も少し遠くではありますがあることはあるので、そこは?と聞いてみたのですが、次女には一刻も早く公文式が必要であると思う、という返答がかえって来ました。とりあえずの受動的教育の小学校生活を乗り越えるべく公文式をすることで確かに小学生のうちは「勉強ができるように見える子」にはなることができると思うのです。しかし将来は少し心配……という。

 

実際、義母さんの長男(私の主人)は公文式には通っておらず、次男と三男が通っていました。性格の問題もあると思うのですが、長男の主人はとにかく今でも超スローペースです。そして底抜けの優しさと粘り強さがあります。競争とかには興味はありません。対して次男の頭の回転は速いです。現在医療従事者で、今でも研修に自ら行きまくっている学習意欲があります。しかし、公文教室と中学生の時に荒れていたようで、教室から机や椅子を放り投げたことがあると聞いたことがあります。三男は計算はものすごく速かったらしく、学年でいつも1位2位争うぐらいマラソンも早く、あるスポーツもいつもスタメンでそれで大学にも行きましたが、そのあと普通なら4年で卒業できるところを6年かかって卒業しています。仕事はなかなか出来るそうです。公文式をしていたのが関係しているのかはわからないですが、公文式をしている人はとにかく「スピードが早い」です。そしてスピードが早いので1番になることも多いのでしょう。「闘争心がある」人も多いように思います。ただ逆に「優しさ」については少し希薄な面もあるようにも感じられます。私は次男が暴れたことは、むしろ「あっぱれ!」って思います。上からの指示で何かをさせられることへの反感ですよね。これ、人間としては当たり前の反応であり、そうでなければ人間らしく生きていくことなど出来ないと思っています。そして今は自分がしたいことを思いっきりする男性になっています。反抗期がないのは危ない、というのは正しいなと思うのでした。

 

そして主人との間に生まれた我が子たちのペースはみんなスローです。

ただ、工夫する力や、人のために何かを自分からすること、人と寄り添う力は優れていると思います。

友だちも多く、喧嘩などとは無縁でみんな仲良しという感覚を持っています。闘争心がすごい子どももいません。

 

そんな中でやってき公文式。

義母さんがお金を出してくれるとまで言ってくださり、それならば次女(小1)はこれからの小学校で今の国語力ではとてもついていけないのもまた正しいので、宿題も最低ラインでゴールをひらがな、カタカナ、1,2年生の漢字というのにしてそこまでだけ習わせて、併せて「どんぐり倶楽部」の年長さんのものをやっていくのはどうだろうか、と思っています。ただ、「時間内」にできないのであれば延々と同じプリントをやり続ける可能性があるのかと思うと考えただけでぞっとします。時間制限……何とかならないか。しかも反復練習……溜息。

 

さらに夜6時からなので、暗い中歩いて行き来してもらうのに、長女も一緒でもいいと義母さんは言ってくださっており、長女(小5)の年齢は11歳。この時期までに勉学面での考える力をもっともっとつけておくべきだったと後悔するのですが、こちらも四則計算がまだまだ苦手な面があるのも事実。年齢も11歳とあまり早すぎないのも良いなと思っています。四則計算までならこれもありなのかな、子供の将来のためになるのかな、と思ったりもしてしまいます。ただし、1日30分以上はせず、とにかく遊ぶこと、本を読むことは大切にしていきたいと思います。そしてどんぐり倶楽部も少しずつやっていきたいと思うのでした。

 

公文式がいい、公文式はダメ、どんぐり倶楽部はいい、どんぐり倶楽部はダメ、ということはないと思うのです。それぞれ一長一短です。どんぐり倶楽部の教室、公文式の教室、学研の教室が歩いていける距離にあるのであれば、公文式の教室は一瞬で候補から外れますけど、それでもいい面もあると思っています。ただ反復徹底と時間制限がまじでいらないじゃん!!って思ってしまうのは未だにありますが。

 

義母さんがお金を出してくれると言っているので、こんなチャンス、4人も子どものいるボンビー一家には絶対ない状況です。家でももっともっとリラックスした時間も作れるように気をつけながらもやらせるのがいいのかなと思っている次第です。

ただ闇雲にやらせるのではなく、この超デメリットもしっかりと踏まえた上で、慎重に取り扱わねばと思います。

 

今回参考になった本はこちら。